阪神淡路大震災から15年を経て

2010年1月18日

 阪神淡路大震災から昨日で15年が経ちました。亡くなった方々には、改めて心よりお悔やみ申し上げます。私にとっては、震災翌日の今日18日が、特別な意味のある日です。

 当時、私は電通の営業局に在籍しており、神戸のクライアントを担当していました。本社オフィスのあった三宮のビルは倒壊し、社長は六甲アイランドに在住のため、橋が封鎖となって島から出られず、経営再開に向けた陣頭指揮がとれないので、島からの脱出に協力してもらいたい旨の依頼が、クライアント社長の携帯電話から、電通に入りました。チャーター機やチャーター船の手配を試みましたが、どうしても手配がつきませんでした。

 その時、漁師の方であれば、きっと手助けしてくれると思い、大阪の漁港に連絡を取り、一升瓶を持って相談に行きました。そうして先輩の方と二人で六甲アイランドに向かったのが、15年前の今日です。上陸すると、一面で激しい液状化現象が起きており、頻繁に余震が続いていました。そして、対岸の神戸市街では、大規模な火災が発生していました。安全上、衛生上の秩序が崩壊した中での強烈な不安、臭い。メディアからは伝わらない、大災害の現実がありました。

 「それは、広告代理店の仕事なのか?」と、これまで何度も色々な人に問われました。その時は、ただ自分にできる解決策があるのかどうかを考えただけでした。私は学生時代ヨット部に所属しており、私の天候変化の判断ミスで遭難しかけた時には、漁師の方に助けてもらいました。そして自然の本当の怖さも、漁師の方から教えてもらいました。きっと漁師の方は手を貸してくれる、その思いで行動しただけでした。自分でも広告営業の仕事かといわれると、首を傾げざるを得ません。しかし、業務として私を送ってくれた電通の先輩方の懐には、今でも感謝しています。不思議に感じる方もいるかもしれませんが、それが私の率直な気持ちです。

 被災された方々とは比べるべくもありませんが、この震災は、私にとっても非常に特別でショッキングな出来事でした。また振り返ると、日本の社会活動が本格的に芽生えるきっかけとなりました。自発的で大規模な救援のボランティア活動が活発化したことは特に有名ですが、広告会社もマスコミメディアも、広告のオンエアを完全に控え、復旧に向けた正確な情報の伝達に努めました。日本全体が、そして世界各国からの救援隊が、この大惨事打開に向けて取り組みました。一連を契機に、「社会はつながっていて、世界はつながっている。」ということを、感じた方は多いのではないでしょうか。

 先週火曜日に起きたハイチの大震災は、既に死者が7万人を超え、恐らく20万人には達するだろうと言われています。死者数だけでも阪神大震災の既に10倍以上、恐らく30倍以上に達する大災害です。海外のメディアは本震災の報道で連日一杯ですが、日本のメディアの報道は極めて限られおり、私たちに入る情報も非常に限られているように感じます。

 これはメディアの問題なのか? 我々日本人の問題意識の問題なのか? いずれにせよ、自分にできることは何かあるのか? 自分の社会的責任は何なのか? 考え、行動する、機会だと思います。 

 

投稿者: Reo Watanabe 日時: 2010年1月18日 18:52 |パーマリンク